モンテ・クリスト伯 読書メモ2

メルセデスについて。

前半ヒロイン的立場にありながら、その描写はヒロインとしての扱いではない。

著者デュマの視線の厳しさを、メルセデスに対して感じるのは私だけだろうか?

しかし、その少し突き放したような描写によって、的確にメルセデスという女性を描き出している。
むしろ、それは意図的であると感じるほどだ。

一言でいうのであれば、愚かな女性。

自分の振る舞いによって気が狂いそうなほど苦しむ者がいるというのに、全くそれが目に入らない。

自分の幸福を周りの人間は、祝福するのが当然と思い込んでいる。

慎ましさとは無縁、無邪気な愚かさ。
時にフェルナンを圧倒する気の強さと激しさ。

改めて読み返して見ると、メルセデスの美しさを描く文言ですら空々しく感じる。

ダンテスの為なら命も捨てることができる!
そう叫ぶ彼女だが、実際は命を捨てることも、待ち続けることも出来なかった。

そして、愛する夫を陥れた者と結婚してしまう。

デュマにとってエデが至高の存在、究極の「理想」の女性像であるとするならば、メルセデスは「ありきたりな女」と言うことになる。


この世の大半の女性は、彼女と同じ境遇に置かれれば、同じ選択をするだろう。

フェルナンのエゴイズムと共通の依存する女性のエゴイズムだ。

一人では生きていけない。

戻ってこない恋人を待つより、これからの人生を支えてくれる隣の男を選ぶ。

それは、「女なら仕方の無いこと」。

果たしてそうだろうか。

デュマは冷ややかに見つめる。

それは世の「ありきたりな女性」たちの本質。



これが至高の女性として描かれるエデだったら?


実は物語の後半、その答えが描かれている。
死に逝こうとするモンテ・クリスト伯にエデは何と言ったのか。


人としての美しさは、年と共に失われる容姿ではなく、心の美しさ、生き方の美しさにあると言える。

心が本当に美しい人、強い人は少ない。

しかし、そうありたいと望むことは必要だと思う。


現代社会に必要なのは、人として高い理想を持つという事ではないだろうか。

モンテ・クリスト伯〈1〉 (岩波文庫)

モンテ・クリスト伯〈1〉 (岩波文庫)

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2018.04.20改