asagao’s blog

生きる力を。。。

モンテ・クリスト伯 読書メモ4

言葉と言う凶器

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ダングラールが偽の告訴状を書く横でカドルッスが言う言葉。

「剣やピストルなんかより、一本のペン、一つのインキ、一枚の紙のほうが、よっぽど恐ろしいとおれはいつも思っていた。」

(アレクサンドル・デュマ作、山内義雄訳、モンテ・クリスト伯一)


剣で切りつければ、その罪は明白だ。
しかし、ペン(言葉)によって犯された罪は分かりにくい。
その上、その被害も甚大だ。




ダングラールはペンの力を利用し、誰にも気づかれずにダンテスを死地に追いやり、自分は正当な段取りを気取って目的の地位に座った。

現代も同じくネットの書き込みや、直接的な言葉によって人を傷つけ死にまで追いやる人間がいる。(しかも、証拠が残りにくく罪を追及されないことが多い。)


ペンは、つまり言葉は剣よりも恐ろしい凶器なのだ。

言葉で殺されたものは、社会的に抹殺されてしまう。

最も深刻なのは、剣は物質を断つだけだが、言葉は精神を断つという事だ。

最も卑怯で残酷な武器。

回復することの無い心の傷。

生きることを諦めさせてしまう闇の言葉。



かつて新聞記者がペンによって独裁政治と戦う時代があった。
圧政とラジオで戦う人々もいた。
多くの人々を奮い立たせ、勇気を与える役割を担った。

ペンは、正義の言葉は人間にとって崇高な武器だった。

しかし、現代は人を傷つけるために言葉を利用する人間が多すぎる。


ペン(言葉)は、それを操る者の心によって、
良くも悪くも計り知れない力を持つ。

人の生死を左右する力がある。
社会を動かす力がある。

本来人間は叡智の結晶として、人を「生かす為に」言葉を使うべきなのだ。

しかし、現実は恐ろしい犯罪に言葉が使われている。

冒頭のカドルッスのセリフには、
作家として生きたデュマの万感が込められている。


では、その罪を犯した者の末路はどうなのか。

言葉を使い人を害する隠れた犯行は、一見完全犯罪のように見えるかもしれない。
しかし、その報いは自分が死ぬ時に戻ってくる。

自分の力で逃げる事が出来なくなった時に。

自分がしてきたことは自分が一番よく知っているはずだ。
罪を犯した自分からは逃げられない。
裁きを下すのは自分自身なのだ。

闇を引きずりながら、いつも怯えながら生き、そして、死んで行く。

犯罪者は常に、自分の悪事を知られはしないかと怯えている。

見る人が見ればすぐ分かる。

心の中や言葉を使って人を殺害する人間は、人相が悪い。会うと嫌なものを感じる。

そんなものだ。



だからこそ他者の言葉で傷ついた人に私は言いたい。


「顔を上げて涙を拭いて。

貴方は知っているはず。

貴方は傷ついたかもしれない。

でも、貴方は誰も傷つけなかった。

貴方は誇り高い尊い人。

貴方は自分を信じてあげて。

貴方は自分を大切にして。

卑怯な人間を見下ろして、貴方は顔を上げて生きて。」

そう言いたい。




自分の存在を抹殺しようとする敵に対する対処法とは何か。

それは、モンテ・クリスト伯の姿を見れば分かる。

ダングラールやモルセールの皮肉に、伯爵は何と答えるか。

言われた皮肉に対して心でどう思うか。

痛快なまでに圧倒的勝利の姿だ。

逆に絶対的強者として、そびえ立つようだった彼等の正体の、なんとちっぽけな事か。


この真実を知って欲しい。


貴方の苦しみは、目を覚ませば、真実に気づけば、消えて無くなるのだと言うことを。

2018.04.22改


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