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asagao’s blog

ほぼ日記と雑記。読書メモは個人的感想でネタバレ含みます。

モンテ・クリスト伯 読書メモ29

モンテクリスト伯 読書メモ

来訪。


10時半。

約束のまさにその時間、モンテ・クリスト伯の訪問を告げる声が響く。

時間に正確なのは偉人の常。

この時のモンテ・クリスト伯は「35才くらい」という描写が入るので、若々しく見える、見せる意図がデュマにはあるようだ。

アルベールは、友人達をその地位の高い人物から紹介する。そして、最後にマクシミリアン・モレルの名を告げる。

モンテ・クリスト伯は、その名に一瞬我を忘れて、一歩踏み出す。

蒼白な顔色に赤みをさし、声をふるわせた。

恩人の子息。

モレル氏の子息に思いがけない再会を果たして、その感動を禁じ得ない。このシーンはいい。

すぐに元のモンテ・クリスト伯の冷静さを取り戻すが、その後もマクシミリアンの成長を慈しむように時折彼をじっと見つめる。
滲み出る恩人に対する感謝と敬意。
会話の中に差し挟まれる、これらの感情を秘めた言葉が読者のみに分かり、午餐の参加者たちは首を傾げる。

デュマは、作中で直接読者に語りかけることもある。私はそれが嬉しい。
物語の登場人物、デュマ、読者が共に1つの時間に存在しているかのように語りかけてくるのだ。

おそらくデュマは、未来の読者にも時を越えて語りかける事が出来ると知っていたのだろう。

本というものが、時や場所を越えて人と人を繋ぐ不思議な扉だということを読書人は知っている。

さて、午餐の会話。

「私を保護してくれないような社会、さらに進んで言えば、私を害しようというときでなければわたしのことを考えてくれようともしない社会を、決して保護してやろうと思いません。」※1

モンテ・クリスト伯は反社会的な行動の理由としてこう言った。

さらには今の社会を認めない、私が無関心であることに感謝されてもいいくらいだと告げる。

自分を牢へ押し込んだこの社会に対する侮蔑が、再度繰り返される。


この会話の後に、今回一番面白いセリフが出てくる。

家令についてだ。

「年々どれくらいお盗まれになります?」※2


雇い人に財産をどのくらい盗まれるかと、ドブレーがモンテ・クリスト伯に聞いた。

「ほかの人間にくらべて、大してとりもしないのです。」※3


不正をしている事を知りつつ使う。


これは現代にも通じる。

あなたは、貴方が関わる人間がどこまで信用できるか把握しているだろうか。


私は私が関わる人間がどこまで信用できるか分かっているだろうか。

知っていながら付き合うのと、知らずに付き合うのでは雲泥の差がある。


後になって「騙された!」と泣くのか。

後になって「とうとう本性を現したな」と笑うのか。

つまり、認識次第で対処法も変わってくる。


全てを見抜いた上で、家令を使うモンテ・クリスト伯

どのあたりで裏切るのか、どの程度盗んでいるのか全てを把握している。


これは強い。悪人にとっては恐ろしい事だろう。


穏やかで優しいと言っても、お人好しの善人ではない。
愚かな正直者ではない。

何もかも知っている!

その上で対応する。用心する。
刃のような聡明さ無くして勝利の人生は無い。


この盗人の家令は、その報いを後に受ける事になる。
モンテ・クリスト伯の、その時の追求は激烈だ。気持ちいいほどに。


※1,2,3,「モンテ・クリスト伯 三」アレクサンドル・デュマ作 山内義夫訳 岩波書店

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