モンテ・クリスト伯 読書メモ34

ヴィルフォールとモンテ・クリスト

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穏やかな言葉遣いとは裏腹に、
火花を散らす男の舌戦。

この場面は面白い。

モンテ・クリスト伯の宣戦布告は、かなり直接的だ。

ヴィルフォールは内心仰天しながらも、虚勢をはる。

まず、妻と子供の命を救われた礼を述べるヴィルフォール。
それに対してモンテ・クリスト伯は、子を思う母の気持ちを考えれば、子を救う事の意義は計り知れないとし、礼などどうでもいい、自分の満足の方が価値があると答える。


これは暗にダンテスを救う事で、子を思う父を救えたと皮肉っているのではないだろうか。

この一文を読んで私はそう感じた。


この後数ページに渡り、長い台詞の応酬が続く。

復讐についての言葉も心にくるものがある。

ホラチウスの格言を引き「報いは遅くても必ずやって来る。」事を示唆する伯爵。

揺るぎ無い復讐の決意もここに秘められている。

そして、「単純こそは、常にもっとも完成したところのもの 」※1

この台詞も面白い。
優れた人間ほど単純明解に物事を捉え、他者に伝える。
愚かな人間ほど単純な事を複雑にする。


ヴィルフォールが、モンテ・クリスト伯を「暇人」と馬鹿にすれば、モンテ・クリスト伯は「お前の仕事に意味があるのか」と答える。

これが、いかにも礼儀正しい言葉で語られるのだから面白い。


傲慢さと虚勢を隠すことなく、さらけ出すヴィルフォール。
時に辛辣に、決して揺らぐことの無い信念と執念で返すモンテ・クリスト伯。

最後に「神の摂理を行う者だ」と、モンテ・クリスト伯が宣言すれば、ヴィルフォールは「思い上がるな、やってみろ」と答える。

モンテ・クリスト伯は「霊魂を失っても」と答えた。


ヴィルフォールを送り出したあと、モンテ・クリスト伯は彼を「毒素」だと呼び一息ついた。
まったくもって、こういった「毒素」と呼ぶに相応しい人間はどこにでもいる。

会う相手に苦痛を与える者。
美しい人でも何か会うと息苦しい、礼儀正しいが、会うと何故か劣等感を感じる場合などは、この精神的毒素を持つ人なのだろう。


そんな人間にはなりたくないと常々思う。


さて、これで復讐の標的3人との面識ができた。

だが、誰もダンテスとは気づいていない。

姿、話し方、髪色も違う為、仕方ないかもしれない。

しかし、その本質は単純だ。

他者を踏み台にするもの、エゴイズムに囚われた者に、踏み台の記憶は無い。

彼らの日常にとって、ダンテスは踏み台に過ぎず、使った後に、いつまでも踏み台の事を覚えている必要が無いのだ。

苦しめられた者と、苦しめる者の感覚は全く違う。

同じ出来事が、一生忘れられない記憶となる被害者と、覚えていない加害者。

この罪深さ、悲劇に、デュマは鉄槌を下す。


3巻読了。

※1アレクサンドル・デュマ作、山内義夫訳、モンテ・クリスト伯三 岩波書店

2018.05.02.改