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asagao’s blog

日記と雑記、読書メモは個人的感想でネタバレ含みます。

モンテ・クリスト伯 読書メモ45

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モンレリーの塔。

信号機と呼ばれる塔を訪れたモンテ・クリスト伯爵。

なぜか、この場面は記憶に残っている。
丁寧に手入れされた庭。
園芸に囚われたと言ってもいい執着を見せる信号手。
デュマが言う。
「人は誰しも、心の底まで食いつくさずにはおかない道楽というものを持っている。」※1

この信号手にとっては、演芸がそれだと言うわけだ。

不思議な事だが、人は何故それぞれに好きな事、好きな物が違うのだろう。

私は、好きだという感情さえ何か運命的な理由が あるのではないかと思ってしまう。

例えば、科学や生物学、工業、服飾の歴史を見るとき、その道を極めた人々は、その道を愛してやまない人々だった。

あらゆる発明は圧倒的に、執着とも呼べるほどの熱意によって産み出されたものだ。

あらゆる人が、あらゆる道を選び、様々に開拓していった結果現在がある。

どんな些細な問題でも、どんなに小さな生物でもその道の専門家がいるというのは凄いことだ。

もはや、運命と言ってもいい。

園芸だって、納豆だって、宇宙だっていい。

好きだ、これをやってみたい、この事なら任せて欲しい、なんでも質問してくれ、そう言える人々の集大成が現代の生活だ。

誰かの好奇心や、探求心によって、あらゆるものが発明された。

何かを好きになる、何かに打ち込むということは、

そのまま、この世界に何かをもたらす道に繋がって行く、素晴らしい行動なんだ。

仕事でも趣味でも、「心の底まで食いつくさずにはおかない道楽。」を人は持っている。

デュマは「誰しも」と言っている。
デュマにとってそれは小説であり「モンテ・クリスト伯」だった。

決して色褪せる事のない物語だ。

デュマは、この本の中で常に読者に語りかけ、希望と生きる勇気を与えてくれる。

道楽とは、他者に何かしらの利益を発生させた瞬間に、発明となり、歴史となり、不滅の輝きを放つ。

単に自分が楽しむだけにとどまるなら、それは純粋な道楽なのだろう。

この一線を越えるには、突き詰める、極める、得た価値を共有する意思が不可欠だろうと思う。

※1 アレクサンドル・デュマ山内義雄訳「モンテ・クリスト伯爵」第四巻 岩波書店