ドラマ モンテ・クリスト伯 感想と思索2

何故、暖に誰も気づかないのか。

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これはデュマの意図するものであり、気づかないのが人間の本質であることを示している。

 

端的に言うなら「忘れる加害者と、忘れられない被害者」。

学校でのいじめ、社内のパワハラ、殺人事件まで、被害者は一生消えない心の傷を負い人生を破壊される。

 

しかし、加害者はどうか?

 

罪の意識をかかえ、被害者の心境を想い、その後の人生を贖罪の日々とするだろうか?

 

現実は違う。

 

何も思い出さない。

 

そして、毎日を楽しく生きて、ささいな悩みに心を奪われている。

 

目の前に被害者が立っていようと、何月何日にお前は俺に何をしたか覚えているか?と聞いても、思い出せない。

 

それが、現実だ。

 

事件の犯人が、SNSや本を出版し、利益をあげ被害者に何度も心の傷を与える場合があることを数々のニュースが教えてくれる。

 

これが人間の本質だ。

 

暖は忘れ去られた。

 

この忘れられた苦しみを、悲しみを、存在ごと葬られた怒りを何処へぶつければいいのか。

第3話のディーンの演技はそれらを見事に表現していた。

 

原作にも、それを証拠付ける伯爵の言葉がある。

 


おそろしい不幸、むざんな苦しみ。愛するすべての人たちからは忘れられ、知らない人たちからはしいたげられての前半生。

 

主題歌の歌詞には、この暖の心情が曲調を含め見事に表現されている。

 

 

以下に私なりに意訳してみた

 

何故?何故だ?

忘れられない、

忘れることが出来ない。

自分自身を許せない。

(過去の騙された自分を、愚かな自分を許せない)

忘れられない、許せない、

奴等の罪を。

何故だ、何故だ、

何故奴等の罪を許せない。

この怒りから解放されたいのに、

自分が、それを許してくれない。

 

前半は音の無い、日も差さない独房の独白のような静寂。

後半の、押さえ込まれた激しい感情が噴出する、美しくも悲しいメロディ。

そして、牢獄を彷彿とさせる歪んだ音の反響、胸を締め付ける扉を叩くの音のようなドラム。

 

傷つけられた者の、静かなる怒り。

 

そこに美しさが伴うのは、その怒りが正しいものであるからだ。

他者を傷つける悪に対する怒りは、人間の正当な権利だ。

 

共に激しい感情である、憎悪と怒り。

憎悪は人を不幸にする。

怒りは人を生かし、幸福へと導く。

 

決してこの二つを混同してはいけないのだと思う。

 

※文中引用「モンテ・クリスト伯」7巻アレクサンドル・デュマ作、山内義雄訳 岩波書店

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