モンテ・クリスト伯 読書メモ86

決別

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希望を捨てた女。

絶望の淵。

メルセデスはモンテ・クリスト伯を前に、これまでの罪を告白する。
そこはマルセイユのダンテスの生家。

ダンテスが「生きている」という希望を信じる事が出来なかったメルセデス。
そして、今は自分を救い守っていた夫を捨てた。

ダンテスを捨てたようにフェルナンも捨て、一人息子をアフリカへと旅立たせた罪深い女。

わたくしは、恋を裏切った女なのです。

メルセデスの叫びが悲しく響く。

これまでは伯爵に理解を求めていたが、ここに来て全てを告白するメルセデス。

自らの罪を伯爵に確認するように。

悲しみに押し潰された彼女の姿は、まるで五人目の敵。

復讐の対象は、彼女を含む五人だったのではないかと思えるほどだ。

二人の会話、冒頭の伯爵の言葉。

わたしには、もうあなたを幸福にしてさしあげることができません。

この一言が、すでにメルセデスに愛情がない事を示している。

これほどの復讐があるだろうか。

全てを失い、罪の意識に苦しむ女に。

女性にとって人生の目的は愛情を注ぎ、注がれる事。生きる目的は愛情が基本となっている。メルセデスのような女性は特にその傾向が強い。

その愛情が否定された衝撃は大きい。
その後の空々しい伯爵の慰めを、メルセデスがことごとく拒絶するのは女性の直感だ。


しかし、ここで伯爵の心変わりを責めることは出来ない。
何故なら伯爵は、捨てられたのだから。

捨てられても、愛し続けなければならない義務など存在しない。

メルセデスもまた、ほかの四人と同じく、自らの行いが招いた結果に裁かれたと言える。

女は弱い、生活の為には仕方の無い状況だったとも考えられるかもしれない。


しかし、これがエデであったらどうだろうか。

エデは伯爵を信じ続けただろう。

孤独に負け、身近な男性と共に生きようとはしない。

誇り高い女性は、例え一生一人であろうと一人の男性を愛し続け、待ち続ける。

精神の王女。
それこそ、真実の女性。
デュマの理想である、最も美しい女性像なのだ。

自由恋愛がもてはやされ、交際人数を競い会う社会では理解されにくいかもしれない。

しかし、真実の愛は、その愛を貫く事に意味があり損得は関係ない。

一生一人であろうと、愛し、愛されたその人を心に描くだけで幸福になれるのだ。

愛する人によって辛く苦しい人生を歩む事になろうとも心が共にあるなら、それは幸福なのだ。

真実の愛に条件はいらない。

エデが愛する理由はひとつ。
それは彼が「ダンテス」という名の存在であること。
ダンテスという名前すら超越した、その存在自体を愛している。

そのため、不動にして永遠の愛となる。
それこそが、真実の愛。


決闘の朝、伯爵が死を選ぶなら自らも死を選ぶと誓ったエデ。

命を懸ける程の恋愛を出来ることほど幸福な事があるだろうか。


いつでも諦められるような、火遊びのような恋愛は真に恋愛を楽しんでいるとは言えない。

人として生まれたのであれば、崇高な命懸けの恋愛をするべきだと思う。

命懸けといっても、実際に命に関わる事をするわけではない、人生を捧げて悔いない人との出会いは貴重ではあるが、皆無では無いということだ。

仲睦まじい老夫婦を見ると、 物語のような恋は意外と身近にあるのではないかと思う。


※文中引用 アレクサンドル・デュマ作 山内義雄訳 モンテ・クリスト伯7巻 岩波書店。


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