ドラマ モンテ・クリスト伯 崇高さの消失

崇高さの消失。


(※ドラマ、原作共にネタバレします。)



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ドラマ「モンテ・クリスト伯」第4話ラストでの大胆な改変。

一瞬で崩れ去った原作の崇高さ。


あ、これもしかして、この流れでいくパターン?


ここで、心の整理。

これは、モンテ・クリスト伯みたいな設定の現代ドラマであって、モンテ・クリスト伯のドラマ化では無い。

これは、モンテ・クリスト伯 ではない。


原作にある、神の摂理を行う者という誇り、気高い怒りがそこに無いからだ。

何故敵と同じ事をしてるのよー?
相手と同レベルに落ちてどうするのよー。
愛していない妻に愛人を与えて、それが生き別れた息子であることが、神楽にどんなダメージとなるの?
入間はびっくりするかもしれないけど。




伯爵の復讐は、緻密な計画ではあるけれど、直接手を下していないことにポイントがある。

伯爵の復讐は犯した罪を暴露し、社会的に抹殺する事が目的。

社会的に冤罪で抹殺され、忘れ去られた伯爵と同じ境遇に落とす事。

金銭の為に伯爵を牢に入れた者には、その金銭を取り上げる事。

恋人を奪った者には、卑劣な行いを暴き、その恋人の心を引き離す事。

敵にとって、何よりも大切な物を奪う。
盗みとった物を、取り上げることが目的。


しかも、目的外の人物には関わらないのが伯爵。


しかし、この現代ドラマは何の関係も無い母子を地獄に突き落とし楽しむ。

原作では、安藤にあたるアンドレアの裁判での証言を聞いて、母親が気絶するシーンがある。

その言葉を要約すれば、
「自分は呪われた宿命の元に生まれ、数々の罪を犯してきた、しかし、母親だけは何も悪くない。」という意味のものだった。


どんなに罪を犯そうと、生んでくれた母に罪は無い。


裁判所で初めて、その素性を知った母。

そして、抱くことすら出来なかった息子が、母を思い口にした言葉。母を慕う子供の本能だと思う。

母親は自分が選んだ不義の愛の結末に、打たれて倒れたのだ。


モンテ・クリスト伯では、誰もが選択の余地を与えられている。

罪を犯し欲望のままに生きるのか、罪を拒絶し、正しい生き方を選ぶか。


人は人生の選択によって、尊くも卑しくもなる。

人間の価値は、財産や生まれで決まるのでは無い。

そういうデュマの熱い魂が脈打つ素晴らしい物語なのに。



なんだろうなぁ。


この現代ドラマ。
今の日本の社会を反映しているようだ。



漫画やアニメ、書籍、映画。
正しいものがカッコ悪い、異常なものがカッコいいという流れ。
過激で残酷な描写や、性的な内容を安易に盛り込む風潮。

教育の劣化、人間らしさの消滅。

尊重と軽蔑。

批判と孤立。

数の勝利。


この現代ドラマが、文学への扉を開くきっかけになるならと思うばかりだ。