モンテ・クリスト伯 読書メモ89

許し

※ネタバレ含みます

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ダングラールへの復讐は悲しい。


それは、ダングラールへの哀れみではなく、その苦しみが、ダンテスの老父の姿と重なるからなのだ。

ダンテスの涙を感じる。

この章でのダングラールへの許しは、ダンテス自身への許しでもある。


破産しパリを逃げ出したダングラールは、盗賊ルイジ・ヴァンパに囚われ洞窟で餓死寸前に追い詰められる。


死を目前としたダングラールは、長い人生で初めて「死」を考える。

人が直視することの出来ない「死」を。

だが、彼には、いよいよ生きとし生けるものの胸に生きていて、しかも心臓が鼓動するごとに《お前は死ななければならないのだ!》とささやく、あの無慈悲な亡霊をじっと見すえなければならないときがやってきたのだ。※331頁


人は「死」を忘れて生きている。
忘れようとしている。
何かに執着する事で、「死」という必然を視野の外に追いやろうとする。


人が「死」を直視するのは「死」が目前に迫ってからだ。


しかし、それでは遅すぎる。


真実の「生」を生きる為には、「死」の解決が必要だ。



時に、自分の死期を悟った人間が、鮮烈な光を放つように生に没頭する事がある。

そこに答えがあるのではなかろうか。


終わりを自覚し、こぼれ落ちる砂時計の砂のような今を、この時を後悔なく、正しく全力で生きる。

辛く苦しくとも、全力を尽くした人生に後悔はない。

値千金。

いや、それ以上である今日の命。

生きとし生けるものに支えられ、命を食する事で繋ぐ今日の命を、無駄にすることなく生きる。

この世界で、喜び、楽しみ、悲しみ、笑い、泣き、怒る。

それが、生を楽しむという事ではないだろうか。

人生は楽しい事ばかりではない、苦しい事の方が多い。

しかし、闇に閉ざされたこの宇宙に、宝石の如く浮かぶ地球。
そこで織り成される、数多の生命の輝き。
そこへと生まれ落ちた我々は、その生を全て楽しむべきだと思う。

苦しみさえ、全てを楽しみたいと思う。




さて、死を目前としたダングラールが見たもの。
それは、窓越しに見えるベッドに横たわる老人の幻覚。

それこそ、ダンテスの父の姿。


それでも懐の五万フランを守ろうと神に祈るダングラール。


人は、権力や地位、財産を頼りに生きている時は祈るということはしない。自分の力でどうにかなると思っている時は、祈りは馬鹿げた恥ずべき物だと思っている。

人が何かに祈りを捧げる時というのは、自分の力ではどうにもならない時だ。

それは、人間のエゴだろうか。

それは、人間の心には本来支えが必要だという証拠なのだ。

だから、世界中に宗教がある。

健康や財産を心の支えとしているものは、健康教、財産教と言えるし、若さを心の支えとするものは若さ教となる。

何かを信じ、それが唯一無二と信じる事は、信仰と同じだ。


多くの人が、自分を信じ生きている。

現代は自分教がほとんどだろう。

しかし、自分も間違える事があるし、力が足りないこともある。

現代社会の閉塞感は、ここに起因している。

人が生きる為の規範が、狭くなっている。

かつては様々な宗教が社会の倫理を、ある程度整えていた。

しかし、現代はそれらが機能しなくなった。

誰もが自分の好き勝手に生きている。

自分教は、解決できる問題が少ない。

大きな問題は解決できず、最悪自殺への選択を考えるようになってしまう。


それが、現代の闇だ。

そこから逃れる為には、自分教の外へ出なければならない、幸いネットが普及している、まずは情報を集める事でもいい、誰かの意見に耳を傾けてみるのもいい。視野を広げる事から始めるべきだと思う。


さあ、ダングラールは遂に、自らの「財」という宗教を投げ出し、命乞いをする。


その時姿を表したのは、モンテ・クリスト伯。
遂に、自らの正体を告げる。

あなたが幸運をつかむため、踏台にされた男(中略)あなたによって父を飢え死にさせられた男(中略)しかもいま、あなたをゆるしてあげようとしている男なのです。※335頁


許しを与えられたダングラール。

何故ダングラールは許されたのか。


これは、犯罪を計画した者の罪は、犯罪を実行した者よりも罪が軽い事を示している。


人の心には、悪い考えが浮かぶ事がある。

それは、誰にでもあるのだ。


ダングラールは嫉妬のあまり、「それ」を思いついた。

しかし、実行はしなかった。


確かに、そそのかした。


しかし、実行はしていない。


フェルナンが実行しなかったとしたら、やはり、ダングラールはそれを実行しなかったろう。

計算高い会計士に、そんな行動力はない。

ここで、もう一度思い起こしてみる。



復讐された者で、最も罪が重かった者は二人。

罪の実行を見て、「傍観」したカドルッスは刺殺。

罪の「実行」をしたフェルナンは自殺。




これが、デュマの答えだった。

「傍観」は「実行」と同等の罪。

「傍観」による「罪の助長」が不幸を作る。


これこそが、社会の不幸の核心。

悪事を暴く勇気を持て!

そう、デュマが言っているような気がする。




復讐の完了。

奪われた全てを、罪人達から取り上げた伯爵。

許しの先にあるもの。





※文中引用全て、アレクサンドル・デュマ作、山内義雄訳、モンテ・クリスト伯 7巻、岩波書店。