認識する世界。
私のblogは私が見ている世界。
人は皆、自分の目で見、耳で聞き、肌で感じる世界に生きている。
同じ場所に存在する2人が、同じように世界を感じているとは限らない。
同じ物を見ても、同じ感想を持つとは限らない。
価値観の相違は離婚の最大理由だ。
価値観の違う二人は異世界に住んでいるのと同じで、理解し合う事が非常に難しい。
その上、何かにつけて苦痛を感じる。
相手を異物と認識するからだ。
両者に違いを尊重しあうという価値観が、いくらか存在すれば問題は解決するが、多くの場合は受け入れ難いと感じ、争いが生じる。
逆に、感じる世界が近いほど相手に親近感を抱く。
感じる世界が近いほど、優れていると認識する。
それが、人間だ。
例えば、同じ部屋にいる3人。
1人は暑いと感じる。
1人は寒いと感じる。
1人は快適と感じる。
感じる。認識する。
それに対して行動を起こす。
又は、耐える。
または、何もしない。
1人は、苦痛。
1人は、まあまあ耐えられる。
1人は、このままであって欲しい。
同じ部屋にいる。
毎日その状態が続くとする。
1人は地獄だと感じる。
1人は何かすると忘れる程度の不満。
1人はあたりまえの日々。
同じ部屋。同じ室温。
認識する。感じる。
そこは、同じ部屋だ。
例えば、借金1000万。
1人は絶望する。
1人はもがく。
1人は奮起する。
数日後。
1人は自殺を選ぼうとする。
1人は策を求め、さまよう。
1人は返済へと行動を開始する。
同じ借金であっても、1人は死を、1人は遅々とした解決案を選び、1人は逆境を転機にかえ成功者となる。
同じ状況で1人は絶望を見た。
1人は先の分からない道を見た。
1人は成功が見えた。
人の数だけ、世界は存在する。
そして、それは本人にとって、たった1つの世界。
本人にとっては、それが真実。
本人には、それ以外存在しないと認識される世界。
天国や地獄は、空の上にあるのでも、地下にあるのでも無い。
認識する私たちの心にある。
心が地獄と感じるか、天国と感じるか、その差でしかない。
同じ条件で、笑う者、泣く者、なんとも思わない者がいる。
人を愛することも同じだ。
100人見ても何とも思わないのに、たった1人が愛しい。
それは、その本人にとっての真実だ。
その本人にとって至高の人。
世界にたった1人の運命の人。
そう感じる。認識する。
人々は自らの目に写る世界に生きている。
日の光を感じ、風を感じ、雨を感じる。
出来ることなら、幸せを感じたいと望みながら。
空も大地も美しい。
全てがクリアに見渡せる。
何もかもが輝きに満ち、乗り越えられない困難などなく、自分には不可能は無い。
そんな人生を望んでいる。
いや望むべきだ。
その為には何が必要か。
たゆまなき向上の道だ。
目を、耳を、肌を、知能を、経験を、認識を研ぎ澄まし、
「力」を得ること。
どのような困難にも屈せぬ精神力。
そして、その精神力を支えるもの。
それが「希望」。
全ては、そこから始まる。
力さえ蓄えて置けば、自分を苦しめる苦悩に打ち勝つ事ができる。
情報収集能力、技術、資格、体力、精神力、力は何でもいい。
そして、希望という輝きがあれば、絶望の闇を消せるだろう。
ああ。そうだ。
それから、もうひとつ大切な事。
他人の生きる世界に上手く写り込もうとしなくていいんだ。
生きている世界が違うのだから。
他人の感じる世界で自分がどう見えているかは、異世界の事だから気にしなくていい。
自分の世界では、自分が主人公だ。
自分が生きたいと望む生き方を選ぶべきだ。
そうしないと、死ぬときに後悔する。
私は、私の望むように生きる。
これが、私の目に映る世界。