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茶団子カフェ

いろんなことをやってます。

洋式トイレが便秘の原因?

TOTO 二連紙巻器 棚付き(樹脂) 樹脂製 ホワイト YH60N#NW1

意外な事実です。

洋式トイレだと直腸がまっすぐに伸びず、便秘になりやすいそうです。


↓洋式トイレに踏み台が大ヒットのニュース
http://withnews.jp/article/f0161016001qq000000000000000W02310701qq000014127A?utm_source=yahoo&utm_medium=referral&utm_campaign=link_back&utm_content=related

洋式トイレに、踏み台を置き「しゃがむ」と便秘が治るというので、踏み台が海外で大ヒット商品になったそうです。

人間の体はそもそも、しゃがんで用を足すように出来ているため和式トイレがベストなんだとか。

しかし、しゃがんで体重をかけて力むと膝の血管に負担がかかります。

また、長時間力んだあと、急に立ち上がると危険だともいいます。

つまり、「洋式トイレに踏み台」が正解だということですね!

膝や血管に負担を掛けず力むことができて、直腸も伸びた状態になり便が通りやすいので、結果として便秘予防になるようです。


いいニュースでした。

進撃の巨人って哲学だなぁ

進撃の巨人(20)限定版 (プレミアムKC 週刊少年マガジン)

20巻を読み返していたのですが、つくづく面白いなぁと思いました。
進撃の巨人

奇想天外な設定。
衝撃的な補食シーン。
圧倒的な絶望感と恐怖。
それだけでも、今までに無いのタイプの漫画ですが、設定や恐怖を煽るだけではこれほど人気は出ないですよね。
むしろ読者を限定されると思います。

しかし、結果この物語は老若男女を巻き込んでベストセラーになりました。

理由はやはり、哲学があるからだと思うんです。

特に20巻。
エルヴィンが、兵士に最終作戦を告げるシーン。

生きる意味、死ぬ意味。
誰もが答えを出せないこの問題に、彼なりの答えを出しました。

ああ、そうかと思うのも束の間、マルロのシーンでは、それでもやっぱり死ぬのは怖いと、人間そのものの心理を描く。

作者は常に、これが答えという押し付けはしません。

こういう考えもある、でも、こう考える人もいると、常にあらゆる角度から一つの出来事を描く。

まさに「選択の繰り返し」が人生だと言わんばかりです。

夢物語や、綺麗事ではすまされない人生の本質が、架空の物語の上に描かれています。


また、登場人物は、ずば抜けた力を持っている人もいれば、持っていない人もいる。
でも、それぞれにしか出来ない役割がある。
誰か1人欠けても目的は遂行されない。
誰もが必要不可欠な存在として描かれていますが、これもまた大切な社会の一面です。

しかも、その一人ひとりの存在に意味をもたらすのは、目標を達成しようと行動する今を生きる人間だ!という主張には説得力があります。

主人公がかすむほど、強烈なインパクトを与える個性的なキャラクター達。

それに加えて進撃の巨人は、登場人物の恐怖心、怯え、困惑、絶望、諦め、といった負の感情の描きかたがリアリティーに富んでいます。読者の感覚そのものです。
更にはヒーローが全くヒーローでは無い。
ヒロインがヒロインでは無い。
敵が敵では無い。
脇役が脇役では無い。

全ての登場人物が、「人間」です。

本当に隣にいそうな「人間」なんですよね。

当たり前の感情を、当たり前に感じる「人間」。


ケニーの最後の言葉も人生を象徴していました。
誰もが「何かに酔っていなければやってられない」と。

人生を突き詰めて考える事は辛い。
生きる事、死ぬ事から目をそらし、
目の前の何かに酔って生きている。

鋭い指摘です。
何かに執着し、何かを追い求めて生きる事しか、
人間は出来ないのか。

そうしているうちに、いつの間にか死はやってくる。

何をしていても、死はやってくる。


生きる意味、死ぬ意味。
生きる意味って?
死ってなんなんだ?


人間は死を直視出来ないといいますが、
実は死を直視することで、生きる意味を知る事になるのではないでしょうか。

エルヴィンの言葉はその事を象徴しているようにも思えます。

これは本当に哲学的なテーマですが、
進撃の巨人は、それを難しく考えずありのままに、ある意味分かりやすく描いています。

今後、彼らがどのような選択をするのか。

そして、その結末は。

楽しみです。

アンゴラウサギは毛をむしられている。

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セーターなどで良く見かけるアンゴラの表示。

アンゴラウサギは、その毛をむしられているそうです。

私は羊の様に、バリカンで刈っているのだと思っていました。


鳴かないウサギが、泣くそうです。

こんな可哀想なことはありません。

もうアンゴラは買いません。

ウサギの涙が染み付いたセーターを、笑って着ることはできません。

かつてイギリスのダイアナ妃が、毛皮のコートを使うことを辞めました。
それは、毛皮を作るためには、動物が生きたまま皮を剥ぐ必要があると知ったからです。

生きたまま、皮を剥がれる。
生きたまま、体の毛をむしられる。

生きたまま、肉牛をシュレッダーに入れる。

悲惨な動物実験で作られる化粧品。

ココナッツを取るために、気が狂うほど働かされる猿。

内臓の体液を取るために檻に入れられ、腹に管を刺されたままの熊。


これほど科学が発達したというのに、

どうして、人間の心は原始時代よりも残酷になるのでしょうか。

すべて、お金の為です。

高く売れるから。

たったそれだけの理由で、多くの生き物が苦しんでいる。

海のゴミが原因で死んで行く、カメやイルカ、クジラ。

釣糸で、死んでゆく野鳥。

すむ場所とエサを開発で失った山の動物たち。

食物連鎖の頂点にいる人間が、自らの足場を崩しながら生きている。

では、どうすればいいのか。

声をあげる事です。

今は、私たちは大きな声を持っています。

インターネットの戦場で、スマホやパソコンという剣を手に、いらないものはいらない、悪いことは悪い、素晴らしいことは素晴らしいと、ありのままに声をあげる事です。

私は今まで不満があっても「考える」ことしか出来ませんでした。


でも、今は違います。

思ったことを、「私はこうこう考える」、

「私は、支持する。」

「私は、反対する。」


そう表現できるようになりました。


そして、それはとても小さな事かもしれませんが、

0ではなく、1なのです。


ツイッターの拡散もたった一つの呟きが始まりですが、今やその影響力は、はかりしれません。


消費者が望まない(買わない)なら、お金にならない。

残酷な飼育や方法をする意味が無くなれば、動物は救われます。

そして、更に国がその産業全体を把握し、良質な飼育への援助、または転職への援助を推進する。

職がなく、生きるためにやむを得ず行っている発展途上国であるなら、なおさらそういった援助を買取る企業がするべきです。


例えば、南アフリカへ日本はゴミを輸出しています。

現地の青年が、そのゴミの中から銅線を取りだし、燃やし、汚染と健康被害によって作り上げた「銅」を、再び日本は買っている。

汚染とゴミは、他国に押し付け、資源だけを取り戻しています。

動物も、食料も、すべてその方法です。

世界はいまにも壊れてしまいそうな均衡の上になりたっています。

問題は多く、やるべきことは沢山あります。

でも、私は今知り、今出来る事をやります。

アンゴラウサギのセーターを買わない事。」

たったそれだけでも、何もしないより、余程価値があると信じています。