セーターなどで良く見かけるアンゴラの表示。
アンゴラウサギは、その毛をむしられているそうです。
私は羊の様に、バリカンで刈っているのだと思っていました。
鳴かないウサギが、泣くそうです。
こんな可哀想なことはありません。
もうアンゴラは買いません。
ウサギの涙が染み付いたセーターを、笑って着ることはできません。
かつてイギリスのダイアナ妃が、毛皮のコートを使うことを辞めました。
それは、毛皮を作るためには、動物が生きたまま皮を剥ぐ必要があると知ったからです。
生きたまま、皮を剥がれる。
生きたまま、体の毛をむしられる。
生きたまま、肉牛をシュレッダーに入れる。
悲惨な動物実験で作られる化粧品。
ココナッツを取るために、気が狂うほど働かされる猿。
内臓の体液を取るために檻に入れられ、腹に管を刺されたままの熊。
これほど科学が発達したというのに、
どうして、人間の心は原始時代よりも残酷になるのでしょうか。
すべて、お金の為です。
高く売れるから。
たったそれだけの理由で、多くの生き物が苦しんでいる。
海のゴミが原因で死んで行く、カメやイルカ、クジラ。
釣糸で、死んでゆく野鳥。
すむ場所とエサを開発で失った山の動物たち。
食物連鎖の頂点にいる人間が、自らの足場を崩しながら生きている。
では、どうすればいいのか。
声をあげる事です。
今は、私たちは大きな声を持っています。
インターネットの戦場で、スマホやパソコンという剣を手に、いらないものはいらない、悪いことは悪い、素晴らしいことは素晴らしいと、ありのままに声をあげる事です。
私は今まで不満があっても「考える」ことしか出来ませんでした。
でも、今は違います。
思ったことを、「私はこうこう考える」、
「私は、支持する。」
「私は、反対する。」
そう表現できるようになりました。
そして、それはとても小さな事かもしれませんが、
0ではなく、1なのです。
ツイッターの拡散もたった一つの呟きが始まりですが、今やその影響力は、はかりしれません。
消費者が望まない(買わない)なら、お金にならない。
残酷な飼育や方法をする意味が無くなれば、動物は救われます。
そして、更に国がその産業全体を把握し、良質な飼育への援助、または転職への援助を推進する。
職がなく、生きるためにやむを得ず行っている発展途上国であるなら、なおさらそういった援助を買取る企業がするべきです。
例えば、南アフリカへ日本はゴミを輸出しています。
現地の青年が、そのゴミの中から銅線を取りだし、燃やし、汚染と健康被害によって作り上げた「銅」を、再び日本は買っている。
汚染とゴミは、他国に押し付け、資源だけを取り戻しています。
動物も、食料も、すべてその方法です。
世界はいまにも壊れてしまいそうな均衡の上になりたっています。
問題は多く、やるべきことは沢山あります。
でも、私は今知り、今出来る事をやります。
「アンゴラウサギのセーターを買わない事。」
たったそれだけでも、何もしないより、余程価値があると信じています。